2015年8月19日水曜日

《RL戯言》 おかしなことがね・・・

( ノ゚Д゚)こんにちわ

今日は、戯言だよ。



随分前に、亡くなった伯母さんへという記事を書いたけどそれを見直してふと思い出したことが。

まぁ、夏ですしね。
信じるか?信じないかはあなた次第(`・ω・´)

昔から見える見えないというのは全くなくて、そういう覚えもない。
ただ、高校生のころあたりから「あれ?」ということがあったりしてきた。
とはいえそうそうそんなにそういうこともないんだけどね。

先に行っておくけど、「霊的」なものって見えるわけでもないし
それを信じているわけでもない。しいていうなら
負の感情は人に向けるべきじゃないなというのを感じている程度。
だから、霊感商法なんて大嫌いだし
「この教えを信じてないと幸せになれない」なんてことをいうのも
私は大嫌いだ。幸せという不確かなものを盾にとり人を不安にして
宗教に入れようなんていうのは大嫌いだ。
幸せという物差しは一つではないからね。


一番初めにそれを感じたのは、学校帰り。
駅から家まで自転車で走っていた時のこと。
夕方とはいえまだ夏で、暑さもまだ残っていた時間。
駅から自転車に乗って、商店街を少し抜けたところでそれは感じましたよ。
なんだろうね。あの感覚って。
前から歩いてきた白っぽい色の和服の女性が妙に気になって仕方がなくて。
手には誰かの家にでも訪問するのかお土産を抱えていたんだよね。
ほかの人も何人か歩いていたんだけどね。どうしてかその和服の女性だけが気になって
自分の隣をすれ違った瞬間「あれ?」という感じがあって振り返ったらもういない。
ちょっと戻って、脇道に入るところがあったけど、和服の女性は歩き、私は自転車。
歩きの女性が戻るまでの時間でどこかに消えるというなんてありえない時間しか
立ってないのにいなくなったんだよね。

これは、親に話しても誰も信じてもらえなかったんだけどさ。
まぁ、きれいな感じの女性だったなぁ。
年は、30代ぐらいかな。
背丈は、私が自転車に乗ってだから160程度。
きちんと髪をまとめてた人でしたな。

そんなことをすっかり忘れてしまうぐらい
高校卒業目前。卒業旅行と称して友達4人と友達の親が所有していた別荘に遊びにいった。
越後湯沢にあるマンションで、スキーシーズンだったので
その日によって滑るスキー場を変えて遊んだ。
夜みんなで夕飯の準備をしはじめ、そろそろ準備も終わり出来上がるので
ここそれぞれが言われずとも机を出したり、ものを片付けたりとしはじめ
盛り付ける皿をカウンターに並べていた時のこと

こういう言葉って素ででるんだなって思った。

「 あれ?お皿足りないよ? 」

怖がらせようとしていうつもりもなんもなかったんだよね。
「え?何ってんの?」
「え?一枚足らないって」
瞬間にみんなが凍り付いたのがわかりましてね。
「なに、いってるの?」
「( ̄ω ̄;)エートォ...(目で確認しつつ人数を数えてみるとやっぱり自分入れて5人)
 
 あ~ごめ~~~ん(゜∇^*) テヘ♪ まちがえたぁ~ 」

スパゲティ盛り付けるときにも「一枚足らない」と言いそうになって
口をつぐんだのは内緒。

そのあとみんなで寝たけど、何ともなかったし。
今までそんなことを言ったことがなかったんだが。
確かにあの部屋に6人いる気配だけはしたんだよなぁ。
んー、いまだに持って謎。


そのあとはそういうこともなく。普通にしていたんだけどね。
結婚して新居だった東大島にあったマンションの時にも
似たようなことはあったなぁ。廊下に誰かがいるの。
小さい女の子。

コンビニに行って帰りに後ろから「ままぁ!」って言われて振り返ったら
誰もいなかったとか。
近くに保育園あったし、、でも、あの時間外で遊ぶ時間じゃなかったし。
もしかしたら、前を歩いていた家族の女の子か?とおもったんだけど
声は男の子だったし

(-ω-;)ウーン 立ち止まってキョロキョロしたもんだから
一緒に買い物にいってた夫からは

「 おまえ・・・・なにきょどってんの? 」と言われる始末。

「 え・・・いや、子供の声しなかった? 」
「 前の女の子じゃないか? 」
「 女の子じゃなくて、男の子 」
「 は? ・・・じゃぁ、保育園・・・・ 」
「 ・・・・・・ 」
「 ・・・・保育園・・・・今外にいないね・・・こ・・ども・・・ 」
「 う・・・・うん。 」
(園庭に出てないときは全く子供の声が聞こえない。防音がよろしい施設だったみたい。)

「 ・ ・ ・ 」
「 ・ ・ ・ 」

ま、こういうことになるよね。

まぁ、こんなのは「気のせい」で済むことなんだけどさ。
そういう体質?という言い方がありなのか?なんなのか。
信じるなんてことはしてないんだよ?
今も実際、霊的何かが・・とかいうのは信じてもないんだ。
あったら、まぁ厨二病的なぁ?みたいな。
もぅ、漫画の主人公じゃぁ~ん(-ω☆)キラリ みたいな。

なんだけどね。。。。。



もう、義父の母がなくなって10年になろうかとしているんだけどね。
今でもあの時のことは鮮烈に思い出せる。
まぁ、思い出せるというか忘れることができないんだよね。
あの時見たのはまるで写真みたいに脳裏に焼き付いていてね。
私としてはたぶんショックだったんだろうなー。と
ショックが大きいと人間って変に冷静になるんだなこれがまた。

9月の後半になると義両親は用事ついでに必ず旅行にでかける。
その年もそうだった。
そうなると完全二世帯住宅には昼間は私と犬が一匹いるだけになる。
いつもは、気を使って足音を立てないように生活しているんだけど
やっぱりいないとなると気持ちが解放されるもんなんだよね。
車で買い物にでかけるにしても、家にいるにしても。
地味に自分ストレスってかかってんだなってこの時期になると実感する。

義両親が旅行に出かけると、いつもやることは
いつも閉めっぱなしになっている仏間の近くにある窓を開け放ち
陽の光を入れること。
掃除をするときに窓を開けて風通しをすること。
義両親がいるときは仏間に陽の光は絶対に入れない。
窓にはシャッターが閉まりっぱなしだし。風通しなんてしないから
空気がいつも湿っててあまり好きじゃないんだよね。

だから、その時もいつものように掃除ついでに
シャッターを開けて風通ししてた。
義両親が旅行にでかけて2日目だか3日目。
いつものように、シャッターを開けて窓を開けて掃除をしたんだけど
その日は仏間の奥にある、義父の母が同居したら住まうはずの部屋がどうしても気になって気になってどうすることもできず
ふすまを開けて中を確認。それでも気になったので、窓を開け放ってみた。
するとね
部屋の中にあったベッドの枕に義父の母の襟足がふっと見えたような気がして体が固まった。
あぁいうときって、なんだろうね血の気が引くというのかね。
枕にまるで寝るようにふわっという感じ。
さーっと頭から血の気が引いて「これは・・やばいかも」と思って
いつもなら子供たちが学校から帰ってくるまでシャッターを開けっ放しにしているんだけどその日はそうそうにすべての窓を閉めてシャッターもしめちゃった。

義両親が帰宅してきたのはそれから2日後のこと。
それから数日後に義父が東京で一人暮らししていた母親の家にいって

遺体を確認した。

その日は、今でも覚えてるよ。
たまたま、夫もお休みで千葉まで買い物にでかけてたんだ。
娘は、それこそたまたま義母にあずけ、息子だけを連れて買い物にでかけてた。
その買い物し終えて帰ろうか?という途中で夫の携帯に連絡がはいったんだよね。
状況が状況だったので、私の実家に連絡をして息子だけを途中で引き取ってもらってその足で義父がいるという警察署へ。

警察署の駐車場に車を止めて3時間。
色々とやって、へとへとになったところで義父の母の住んでいた家に行くことになるんだけどさ。


独り暮らししてて親と離れてる人。
たまには連絡してあげてね。
後悔はしてからじゃどうにもならんよ。


私は、義父の母(大姑)になる人のことだけど
部屋に入るとね、それほどあったこともなかったけどさ
その時の思い出がわっとあふれるんだよね。
いつも行くとね近くのスーパーに買い物にでかけて夕飯作ってくれるんだ。
6畳一間。キッチンなんてそんないいものじゃない。板の間にちょとした流し台とコンロがあるだけ。
トイレは共用。風呂なんてない。共同の出入り口。鍵なんてかからないんだよ。
昔のアパート。

一度だけ一緒に夕飯つくったんだ。
パックの鰹節を使って味噌汁を作ってくれた。
その時の味はおいしかったよ。
高校時代の友人のおばあちゃんが言っていた
「 出汁をきっちりとれば、味噌なんてほんの少しでいいのよ 」
という言葉が頭の中で思い出されたんだよね。
あれ以来、味の○のだしの元なんて使えなくなったんだ。

つげの櫛を夫が壊してしまった話。
エアコンもない部屋であついでしょうなんて言ってたけどあれはあれでよかったなぁ。



そんな思い出がほんの少しある部屋。

相当苦しかったんだろうね。
体を引きずった跡がね
残っていたんだよ。

嘔吐したのかもしれない。

廊下にもついていたよ。

トイレの前まで。

最後は歩けなかったみたいだった。



なんで、こんなのを見ないとならなかったんだろう。
なんでこの場にいるのが私で義母じゃなかったんだろう。

そう思いながらさ、跡がついたところ
雑巾で拭いたよ。

警察の人たちが来た後だったからね。
その跡は雑巾で拭いても消えなかった。

次の日にも同じ警察署へいき書類を書いたり、区役所へ行ったりしなくてはいけなくて
大変だった。
悲しいとかそういうのどこかにふっとんじゃった。

でもね、警察署の人から聞いた死亡日時を聞いて倒れるかと思ったんだ。


そう。

私が気になって窓を開けた日、あの時間あたりだっていうんだよ。

夫にそれを言うか?言わないか?ずっと考えていたんだけどね。
元からそういう話は嫌いな人だったしそういうことも信じない人だったからさ
信じてもらえないと思っていたから葬式が終わるまで
誰にも話しなかった。

信じてもらえないってつらいしね。

でも、葬式が終わった日。
義母が義父の母のあまりいい話じゃないことを次から次へと話するもんで
気がめいって夫だけの時にその話をした。
まぁ、驚くというのかどう対処していいのか?わからない顔してた。


心残りというかね。
無くなる数か月前から気にはなってたんだ。
電話かけようかな?顔だそうかな?どうしようかな?って
思い切って夫に聞いてみたときに困った返事が返ってきた。

「 お前が親切心だけでそういう行動にでようとしているのは俺はわかる。
  だけどな、それだけで動くことが信じられない人も中にはいるんだよ?
  わかるよな?
  それで動いて余計なことに巻き込まれたらもっと大変になる。
  俺はお前がそれだけで動ける人間だっていうのはよくわかる。
  でも、今は何もするな。
  いいな。何もしたらだめだからな 」


そう思われても電話してたら違ってたかな。
孤独死なんてしなかったかもな。

なんてさ、毎回墓参りのたびに悶々とするんだ。

なんで、義父の母が体調が悪い
病院に入退院を繰り返してる
無くなる数週間前に遊びに来た時にほとんど食事をとらなかった
下痢をしているという話を聞いてたはず

なのにもかかわらず1週間も旅行になんでいったんだよ。
と、9月のいつもの旅行に行くときになると悶々とするんだよね。



まぁ、このこと以来
胸騒ぎには素直に対応することにしてるんだよね。


今年の墓参りには風邪ひいていけなかったから
暇見つけて行こうと思ってるんだ。
ついでに実母の実家の墓にもいかないとなぁ。
あの時のお礼してないんだ。

あまりにも胸騒ぎがひどくてどうにもならなかったんで
自分の幸せを少し分けるから助けてくれと無理強いしてしまったもんで。
まぁ、その人はぎりぎり助かって生死の境をさまよったけど
今は元気にあっちこっち飛び回ってるし。
じーちゃん、あの時はありがとうでしたよ。


ま、胸騒ぎに素直すぎて前回のドライブは道間違えて山道走りまくったけど。



寝られないときは寝られないでいいやと最近あきらめとりますよ。

寝られないほどの胸騒ぎは、無理強いした時とこの間のドライブぐらいかなぁ。
あー義父の母がなくなる数日前にもあったな。
あとは、亡くなったあと葬式が終わった後は悶々としすぎがどうにもならなくて
数日間寝れなくて夜中ドライブしまくってたなぁ。

無理強いした時は理由もわかったからいいが
この間のドライブはいったいなんで寝られなかったんだかヽ( ´ー`)ノフッ



まぁ、こんな話を信じるも信じないもあなた次第ってかぁ。



幽霊がいるとか、見えるとか信じてなくてこれだもの・・・
まぁ、おかしなことがあったんだけど・・・なんぞや?程度でしかないんだけどさ。

つげの櫛
安いのでいいから買ってお供えしようかなぁ。
「ほんとによっちゃん買って返すっていってたのに(笑)
って、言ってた言葉わすれれられんのよなぁ・・・

仏壇がいいんだろうけどさ。お供え。
あそこは義母のテリトリーだし勝手なことできんから。
墓参りの時にでも持っていくかな。
本当はだめなんだろうけど。



私はぁ~お墓の前にぃぃぃ。

いるとは思ってないんだが
まぁ、気持ちですな。気持ち。

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